改稿のシしゅん記

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厚生労働省の定義だと自分は【ひきこもり】に分類されていなかった。

※前回の記事に目を通したあとで読むことをおすすめします。

 

 

休学届けを出して引きこもってからは【ひきこもり】に関してネットサーフィンをすることが多かった。

 

その過程で厚生労働省のサイトを見つけた。

 

厚生労働省(以下:厚労省)が定義する【ひきこもり】とは次のように書いてある。

定義

  仕事や学校にゆかず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6ヶ月以上続けて引きこもっている状態。

厚生労働省:政策レポート(ひきこもり施策について)

ずいぶんと曖昧な定義だとは思ったけど、逆にさらに明確に【ひきこもり】というものを定義しようとすると困難を極めそうだからとりあえずはこれでいいのかなとも思う。

 

それで、あくまで厚労省が定義する範囲内での話ではあるけど遡ること約一年間の自分にはこのようなことがいえると気づいた。

 

引きこもってはいたがひきこもりではなかった。

 

べつに【ひきこもり】というものに当てはめられるのが嫌というわけではない。

 

実をいうと、引きこもった初期から休学終わりまでまるっきり引きこもっていたかというと、そうじゃない。

 

確かに総合すると全く外出しない日が大半ではあったけれどもちょくちょく外には出ていた、初期のほうの外出は「なにかをしなければ」という半ば強迫観念によるものだったけど。

 

買い物に出掛けて店員と最低限の会話をしたということを除いても、その外へ出た日のなかで微々たるものではあったけど、色々とあってまれに他人とは口を聞いていた。

 

今思い返してみると休学終盤に至っては適当に外をほっつき歩く日数も増えていたのだから、むしろ【ニート】という言葉のほうが自分にはぴったりな身分だったのではないかと思う。

 

でも、そんな絶望と快感のひきこもりニート生活は終わった。おそらくそんなことは老後まで二度と来ないのではないかと思う。いや、なにかと時代の流れが早い現代では老後でもあんな風になれるかはわからない。というよりももうあんな風にはなりたくないというのが本心だ。

 

そのためにはまず引きこもってた際にためたやりたいことを処理してちょっとずつでも自信をつけていかなければ。自信がつけば無駄な不安や劣等感におそわれる必要もなくなるだろうから。